groundingとは何か

 groundingとは「接地」です。そのまんまやん!と突っ込まれそうだけど、深い概念なのです。哲学的な文脈でよく使われます。科学技術を現実世界にgroundingさせる、研究を生活にgroundingさせる、というような使い方をします。人工知能には「記号接地問題(symbol grounding)」という概念もあります。groundingを説明するには、逆にgroundingしてない状態のことを言うのが簡単ですね。groundingしてないとは、乖離しているということ。

groundingしてない研究が多い

 現実世界から乖離した科学技術、ひとの生活なんか見向きもしない研究が世に溢れています。科学も技術も研究もみんな、ひとの生活がよくなるためにあるのだから、groundingさせる意図は皆目ありませんというのはさすがによろしくない。もちろん技術や研究の齢が浅いうちは、groundingのさせ方なんか見当もつかないことはよくある。研究の管理者は、技術や研究の齢を見定めて、浅いうちからgroundingを性急に求めてはダメです。でも、片や研究者は生まれたばかりの研究だからと胡座をかいてはいけない。求められなくても、groundingのさせ方をみつけようと謙虚にアンテナを張らねばなりません。

自分の身体を喜ばせる研究をする

 ではどうすればgroundingのさせ方がみつかるか?ふたむかし前、企業の基礎研究部署にいた頃から、僕はその方法を模索してきました。辿り着いたひとつの答えが、自分の身体や生活のために研究をすること=B個人のために研究するとは何ごとかっ! けしからん! とお叱りを受けそうだけど、そうおっしゃるお方はものごとをわかっておらぬと思う。世に広く貢献するのだなんて考えていると、groundingのさせ方を「頭で考える」ことになる。既存の概念やありきたりの手法に追従することになる。そういう研究のなんと多いことか!貢献してるつもりだけど、全然有り難くない。そうじゃなくて「自分の身体で考える」必要があるのです。自分の身体に正直になって、身体を喜ばせる研究をしてごらんなさい。必ずや身体や生活に接地した研究になります。あなたというひとりの人間の身体にね。
 たった一人!?それじゃあ普遍的な研究にならないよね! と疑問を投げかけてきますか?お答えしましょう。「あなたと同じように感じる身体をもったひとは、世にごまんといるよ!」と。たった一人でも、本当の意味であなたの身体に接地できさえすれば、仕事の8割は終わっています。心配しなくても世の中が広めてくれます。西田幾多郎は、自分の哲学は、自分自身の人生の悩みを解こうとする努力の集積で生まれたと明言しています。優れたデザイナは自分が欲しいものをつくっています。

頭だけで考えず 身体に接地した研究を

 重ねて言います。自分の身体にさえ接地できない研究は、「頭で考えているだけ」で現実から乖離します。最近、(コミュニケーション的な意味での)相互行為の研究会に行って、そこの発表者の何名かが、聴衆者がどう理解するだろうかを一切省みず、独りよがりの発表をする(相互行為になってない)シーンに遭遇し、悲しく思いました。
 そうだ!「記号接地問題」が何かをまだ説明してませんでした。ひとが論理的にものごとを考えることができているのは、記号(シンボル)を生み出し、それを操作し、互いに伝えているからです。でも決して記号だけがひとの頭に浮遊しているわけではない。記号はもともと身体から生まれたものです。身体と乖離せずがっちりと結びついています。しかし、人工知能の半世紀の歴史を経ても、そこで扱われている記号は身体に接地できないでいる。身体と記号の関係を扱えない現在のコンピュータは、単に「頭で考えている」に過ぎない。人工知能がかかえる最大の難問が「記号接地問題」なのです。若いひとには、頭だけで考える、研究接地問題を越えられない研究者にはならないでもらいたいです、はい、ほんとに。



(諏訪研新聞 平成24年7月18日付)