しばし閑話。わたし、これからオフィシャルの場でも大阪弁でいこかなと思ってます!
 皆様ご存知のように、わたしは、大阪出身です。でも、父が転勤族だった関係で転校続きでした。わたしにとって「初の関東圏」の小学校で自己紹介をさせられたとき、開口一番、珍しいアクセントにクラスが爆笑に包まれました。「え? 笑うところじゃないのに‥」。小さかったわたしはショックを受けたのでしょう。詳細なことは憶えていませんが、すぐ関東アクセントで喋るスキルを身につけ、学校では関東アクセント、家に帰ると大阪弁という生活を始めました。
 その習慣がいまだに影響を与えているようです。わたしの喋り方は、いつしか、相手の言語に合わせて自然に変わるようになりました。標準語の雰囲気のなかでは標準語で、場に関西人が多い場合には関西弁で喋ります。場の雰囲気を察知し、身体が反応して自動で切り替わるのです。「国内バイリンガル」とでもいうのでしょうか(笑)。学会や大学の会議など、公の場や雰囲気が堅い場であればあるほど、「聴き手が標準語の方たちだ、公の場だ」と思うだけでそうなります。興が乗ってきたり決め台詞を発したりするときには、ぽろっと大阪弁が出たりもしますが、それは「主張したいことを効果的に伝えるためのスキル」と軽く考えていた節もあります。
 その一方で、久しぶりに関西に出張して人びとの喋りを耳にしていると、スイッチが大阪弁モードに切り替わります。また、話し相手が標準語の方であったとしても、個人的に打ち解けた間柄である場合には大阪弁で喋ることが多いです。やはり大阪弁の方が圧倒的に表現能力は高いからです。
 さて、ここからが本題。最近、齢五十を超えて、オフィシャルな場でのわたしの話しぶりがどうも堅いと自覚しています。ノリやリズムが悪い。感情が乗らない。その結果、主張したいことがうまく伝わらない。説得力がない。そんな気がします。
 先日、慶應SFCの研究発表イベントORF2015が六本木で開催されたときのこと、わたしが企画したトークセッションの登壇者YNさんの話をお聴きして、眼から鱗が落ちました。「人の話は、内容と話しぶりから成っている。前者ばかりがクローズアップされるが、実は後者も重要である。話者は、話の内容は制御しようとするものであるが、話しぶりはなかなか自覚できない。しかし、聴き手には話しぶりも否応なく伝わる。内容的には『楽しいです』と喋っていても実はどこかつまらなそうな話者がいたりすると、聴き手は話半分に聴く」という趣旨でした。聴き手が魅惑を感じる話者は、喋っているというより「唄っている」のだと。
 最近のわたしの喋りは「唄って」いなかったのではないか! そう確信させられたのでした。
 彼のトークに続いて、セッション全体を纏める順番がわたしに回ってきたので、「唄わんといかんな! と激しく同意します。というわけで、さっき企画意図をご説明したときは標準語でやりましたけど、唄ってなかったかもしれません。いまから‥‥って、既に関西弁で喋ってますけど、関西弁でいかせてもらおかなと思てます。」と、まくしたてました。オフィシャルな場です。なにか弾ける感覚がありました。心がほぐれ、口から単語がよどみなく出ていました。セッションのビデオを後で観たら、大阪弁のわたしは「唄って」いました。表情も柔らかい。素の自分が出ています。一方、企画意図を説明しているわたしは、なんだか構えている感じで堅いのです。
 「諏訪さんは、調子に乗ってくると独特のリズムがあるよね」とか、「先生、唄ってましたよ」とか、かつて研究仲間や教え子にそう言われたことがあったっけ? 「そんなもんかねぇ」と、そのときは深く考えなかったけれど。
 オフィシャルな場では標準語モードでしゃべり始めるのだけれど、調子が乗ってくると、実は、わたしの意識以上に大阪弁が噴出していたのか?!(「国内バイリンガル」とは名ばかり!)。もしくは、昔は標準語モードでも「唄う」ことができたのに、齢五十を超えて不器用になり、関西弁でないと「唄えなくなった」のか?
 真相はどちらでもよいのです、心に決めたのですから。これからはどんな場でも関西弁で自分らしいリズムを刻み、地を出し、「唄おう」と思います。
 閑話と言いつつ、このトピックは過去のコラムと関係が大ありです。そう、シンボル・グラウンディングです。ことばやシンボル(この記事では「話の内容」に相当)が自分のからだや生活実体に根ざしていることを指して、シンボル・グラウンディングと称します。この概念は、内容だけではなく話しぶりにも適用できるということですね。現在のわたしの場合、標準語モードでのリズムやイントネーションはからだや生活実体に根ざしていない、いわゆる「受け売り」状態なのかもしれません。受け売りだから、感情も乗らず、唄えない。説得力が生まれないのは当然でしょう。
 高校の先輩で共同研究者でもあるHNさんは、しばしば僕のことを評して、「諏訪くんはいっつも大阪弁だからね」とおっしゃるのです。「何ゆうてるんですか! Nさんが関西弁だから、その雰囲気を察知して僕もそう切り替わるんです。Nさんは僕の関西弁しか聴いたことないんですよ」と答えるのが常でした。
 もしかしたらHNさんは、わたしが標準語を使えることはご承知のうえで、敢えてこう伝えようとしていたのかもしれません。「お前の標準語は唄ってないからつまらんよ。面白い話をしているときはいつも関西弁よ。はよ気づいたら?!」と。
 学生の皆さん、頻繁にお会いする研究者の皆様、これからは大阪弁モードでいきます。よろしく御願いします。



(諏訪研新聞 平成27年12月24日付)