ことばが軽い

 前回は学びに近道はないのだと説きましたが、今回は“近道はない”ことを理論的に解説したいと思います。今のご時勢、“近道はない”とは真逆のことが蔓延っています。“学んだ”、“成長した”ということばがあまりにも軽く使われていて、学びに対する姿勢の物足りなさに、僕は一抹の不安を覚えます。「この試合から私は多くのことを学びました。とても成長できたと思う」とインタビューに答えるアスリートが後を絶ちません。学生との面接でも似た口上に遭遇します。そんなに簡単に“学べる”わけないよ!試行錯誤を繰り返し、意気消沈とぬか喜びを行ったり来たり、一向に進歩しないか、どんどん谷底へ落ちて行く感覚を味わいながら、それでも耐えて継続していると、ある日世界の見え方が変わり一段高みに上っている。成長するとは長期に渡る辛苦を伴った成果なのです。たかが一試合で成長などできるものではない。ことばが軽いですよと言いたいのです。

FNSループ

 僕は学者なので、理論的にこの風潮を紐解いてみます。公立はこだて未来大学の中島秀之さんと東京工業大学の藤井晴行さんと共に、数年来提唱してきた理論があります。モノゴトの進化の一般形を示すFNSループ理論というものです。図1をみてください。点線で上から下へ三つの領域に分かれています。上ふたつがある人の認識層(認識をノエマと呼ぶ)、下が現実世界の層です。未来ノエマとは未来への認識、つまり「△△をしよう」という目標です。現在ノエマとは、「××が生じている」という現状の認識です。左上の未来ノエマのノードNF(t)は、ある時刻にある目標をもったことを示します。「寒くなってきたので、髪の色を濃いしっとりとした色に染め直そう」という女子の想いは、未来ノエマです。目標をもったひとは行動(C1矢印)に移します。“自分で濃い色に染めてみた”とかです。行動の結果として、現実世界に現象が生起します(A(t+1))。時刻がt+1へ進んでいます。“濃い髪色”がこのノードの例でしょう。
 さて、現実世界には様々な現象が存在しています。変えていない髪型は現実層に存在する一事実です。髪色を変えた翌日は小春日和だったため、思い切って淡い色のコートを着たとしましょう。燦々と輝く太陽光や、服装の色も、現実層に存在する事実です。A(t+1)(濃い髪色)は、必然的にそれらの事実との関係性をもちます。その髪型と、濃い色と、燦々とした太陽光による強調が重なり、未来ノエマ生成時の彼女には思いも寄らなかった“重量感”が生まれたとしましょう。コートの淡い色との対比で髪の重量感はますます強烈になるかもしれません。行動C1は、そのときに世界に存在する様々な要因や現象と相互作用をして思わぬ結果をもたらします。環境要因や現象をE(t+1)、相互作用をC1.5、そしてその結果の認識行為をC2と記しています。
 “重量感”は新たな現在ノエマNC(t+1)です。NC(t+1)が最初の目標NF(t)と一致しないことが重要です。目標をもった時点では、環境にどんな要因が存在してどんな相互作用が起こるかを想定できないため、C2プロセスで全く新しい着眼点が生まれることがあります。髪の毛に“重さ”という着眼点を感じたことのない人にとっては、新しい語彙を得ることになります。目標と現在ノエマの不一致は悪いことのように思えるでしょうが、長い目でみれば新たな着眼点や語彙を得て一歩前進したと言ってよいのです。
 “重さ”という着眼点を得た彼女は、「じゃあ髪型を思い切ってショートにして軽さを演出しよう」という新たな目標NF(t+1)を思いつくかもしれません。そしてそれを実行に移し、プロセスはどんどん続きます。FNSループの図は、人間の認識と行動は現実層での相互作用を経て、進化し続けていくというプロセスを示しています。人が生活の中で学ぶ。アーティストが自分の作品を制作する。デザイナーが新しいプロダクトを世に出しては、世の反応をみてプロダクトを変革する。ひとの営みの進化そのものを表す図であると、藤井、中島、諏訪は豪語しています。おっと、FNSとは何か?三人の頭文字?そんな安直ではありませぬ!(笑)。Future Noema Synthesisの略とでも言っておきましょう。


図1:FNSループ


“軽い学び”をFNS図で解く

 「学んだ/成長した」とつい言ってしまう人は、実は“未来ノエマを得た”に過ぎません。問題点が赤裸々になり解決すべき目標が立った段階です。FNSループの繰り返し(目標がどんどん進化し、その都度実践してみて様々な着眼点を得ることを繰り返すこと)を“学び”と呼ぶならば、一つの未来ノエマを得ただけで「学んだ」と言ってしまうことの浅薄さは、もうお解りでしょう。目標は、ただのスタートラインです。スタートに立てない場合に比べて随分ましですが、「学んだ」と言うのは拙速に過ぎます。目標を実践する行動は現実世界で様々な相互作用を起こし、想定外の結果を生み、もがきながら更に新たな目標を立てなければならないのですから。そこからが“学びの本番”です。“学んだ”ということばは、安っぽく使わず、しばし心に秘めておくが得策です。



(諏訪研新聞 平成25年12月24日付)