第8回 『間合い』

間合い研

 いまわたしのなかでホットな話題は、今年の7月に、「間合い」についての研究分科会を日本認知科学会で立ち上げたことです。コミュニケーション、身体知、アフォーダンス、理論生命科学、共創システムなど、「ひととひとのあいだ」に関連する様々な研究分野の研究者が集う会です。正式名称は「間合いー時空間インタラクション」、略して「間合い研[1]」です。日常でもときどき使うことばだけれど、いろいろな意味で使っていたり、明確な意味を分からぬままなんとなく「間合い」って言ってたりします。正体がつかめない、でも、確実に何かがそこで生じているという確信はある。不思議ですね。暗黙知の最たるものでしょうか。
 まずは、「これ間合いだよな」と思う実例を皆で持ち寄って、どのように研究にできそうかを議論する。そういう場にしたいという想いで分科会を立ち上げたのです。
 去る11月15日には、間合い研所信表明会と称して、◯◯という間合いについて研究したいという意志のある方が10分ずつ所信表明を行う会が開催されました。非常に熱のこもった所信表明のオンパレードで、その後の懇親会も含めて、大いに盛り上がりました。「いや〜こんな研究分科会、いままでになかったわ〜」と多くの方の期待を集めはじめています。第二回分科会は2月に東京で開催されます。


相手に合わせようとすると合わない

 さて、間合いとは何か。その定義を語れるほど解明は進んでいません。とりあえず、「複数の人が互いに協力して整合のとれた全体調和を生み出すために、それぞれの人が他者とのあいだにタイミングや呼吸・勢い・体感の盛り上がりなどを調整すること(2名による対決がなされるシーンでは、自分だけが相手にうまく対峙するためのタイミングや呼吸・勢い・体感の盛り上がりを獲得しようと調整すること)」とでも言っておきます。
 全体調和をもたらすような協調シーンとしては楽器の合奏が、対決シーンとしては野球のピッチャーとバッターの闘いが典型例として挙げられるでしょう。
 精神病理学者にして哲学者の木村敏氏はこう論じます。合奏をする各演奏者は、全員で奏でてきたメロディーを自分の頭のなかに反芻し、自分が頭のなかで鳴らすメロディーの近未来状態を想定して、それに演奏行為をシンクロさせるのではないかと。ポイントは、他者の音に合わせるのではなく、自分の頭のなかで鳴るメロディーの未来状態に合わせようとすること[2]です。自分の頭で鳴るメロディーは、現実に鳴ってきた各演奏者の音の履歴から生み出されます。全員がこれをやるとピタッと合うというのです。


現役選手としての意識

 野球のバッターがピッチャーの球にタイミングを合わせる作業も同じだと考えています。わたしはいまも現役のプレイヤーです。かつて、投球における身体各部位の動きに着目し、ある特定の部位が◯◯という状態になったら、バッターとしてバックスイングを始動すると意識していた時期がありました。ピッチャーの表面的な動作を鍵にしてタイミングを図っていたのです。
 しかしまもなく、その方法では、わたしが「自分の間合いをつくれる」ピッチャーは数少ないことにきづきました。自分と同じようなフォームとタイミングで投げるピッチャーにはピタッと合うのですが、そうでないピッチャーに対峙すると破綻をきたします。後者のケースでは、わたしの意識のなかでピッチャーの身体動作の分節化すらできないことがしばしばです。そうすると鍵となる特定の動作の開始位置さえ摑めません。そしてバックスイングの始動が遅れ、からだは臨戦態勢が整わず、確実に振り遅れます。
 同僚のKさんは、むかし大学野球部で主将を務めた名選手です。彼にタイミングはどう合わせるの?と質問したことがあります。彼曰く「タイミングは自然に合うのよね」「それじゃあ答えにならないよ。どう合わせるかを問うているのに、『合ってしまう』とはなにごと?」と思いました。
 しかし、いま考えると、彼がそう言った理由が解ります。彼が言わんとするのは、このようなことだと思うのです。ピッチャーの表面的な動きに注視してバックスイングを合わせるという考え方だから、「タイミングをどう合わせるのか」という問いになるのだと。間合いを調整するときには、表面的部位を鍵にするのではなく、個々の部位の総体が醸し出す「ピッチャーがバッターに向ってくる勢い」というモノゴトをからだで察知することが肝要なのだと。そういった勢いは、合奏の場合には全員で奏でてきたメロディーの勢いに相当します。
 そして、「ピッチャーがバッターに向ってくる勢い」を自分の体感のなかに取り込んで、その後ピッチャーが球を放つ瞬間や、球の軌道を自分の頭のなかで想像します。「ピッチャーがバッターに向ってくる勢い」という、自分の頭のなかに形成した像の近未来に、バックスイング時の体感の高まりを合わせようとして振り出すと、「自然にタイミングが合う」のです。
 相手をみて合わせるのではなく、相手の動きの履歴を自分の体感のなかに取り込んで、その自分の体感に合わせて自分の行為を繰り出す。間合いについてのそういう考え方はとても新しいと思います。さて、それをどうやって研究しようかしら。



参考文献・URL

[1]日本認知科学会研究分科会「間合いー時空間インタラクション」

[2]木村敏. (2005). あいだ, ちくま学芸文庫.



(諏訪研新聞 平成26年12月25日付)