一人称研究

 一人称研究という新しい方法論が、いま、ホットです。一人称研究とは、確固たる定義が定まっているわけではありませんが、いまは以下のように考えています。
 知の一人称研究とは、あるひとが現場で出逢ったモノゴトを、その個別具体的な状況を捨て置かずに、一人称視点で観察・記述し、そのデータを基に知の姿についての新しい仮説を立てようとする研究です。一人称視点で観察・記述する対象のモノゴトとは、どのような意志をもって、からだを使ってどのように環境に働きかけ、環境にはどんな変容がもたらされ、自分は環境のどんなことに新たに気づき、自分の考えはどう影響を受けたか、そして、自分にはどんな新しい意図や目的が生まれたか、などです。要は、自分のからだや意識と、環境のあいだに生じる相互作用を記述するのです。
 人工知能学会では、学会誌『人工知能』2013年9月号に、わたしと東大の堀浩一先生が企画した特集「一人称研究の勧め」が掲載され [1] 、九名の研究者が一人称研究にまつわる論考を書きました。その特集号をベースにして2015年4月には書籍が近代科学社から出版されました [2] 。特集号の各論文を、より一般の読者の皆様に向けて加筆、修正を施したものです。特集号の思想を引き継ぎ、この一年余のあいだにわれわれが得た想いを色濃く綴りました。


従来の方法論とは求めるモノゴトが異なる

 これまで、研究といえば、客観的に観察して得たデータを基に普遍的な知見を導き出す営みであると思われてきました。わたしたちは小学生の頃からそういう教育を受け、身体に染み付いています。理科実験や生物の観察は、客観性や普遍性を重要視する最たるものでしょう。
 一人称研究はこの原則に抵触します。一人称視点で観察・記述するわけですから主観が入り込みます。ひとりの人の身体や意識で生じた現象を基に仮説を立てるわけですから、即、普遍的な知見には到達できません。
 ではなぜ、わたしたちは、知の研究には一人称研究が必要であると思っているのでしょうか? 誤解のないように述べておくと、すべての知の研究を一人称研究でやるべきだ(客観的な観測に基づく探究や、多くのひとに成り立つ普遍的な知見の追求は要らない)などと思っているわけではありません。従来手法は必要ですが、それだけでは足らないと思っているのです。知を客観的に観察・記述できるのであれば、それに越したことはないのですが、残念ながら、知の研究においては客観的研究だけでは扱い切れないものごとが多々あります。一人称研究だからこそ見出せる知の姿があると思うのです。
 詳しくは、人工知能学会誌の特集号や出版される書籍をご覧いただきたいのですが、一言でいえば、状況に応じて臨機応変に、動的に対応することこそ、ひとの知の醍醐味なので、一人称研究が必要なのです。80年代後半から、人工知能や認知科学の研究分野は、知の状況依存性、知の身体性、フレーム問題という大きな壁に直面しました。これらの概念は、まさに、臨機応変、動的対応という知の側面を表現したものなのです。


臨機応変さ、柔軟さの正体を見出す

 一人称研究が必要だと考える理由を、ここでは簡単に紐解きます。
 ひととコンピュータのどちらが賢いかと問えば、多くのひとは「ひと」と答え、その理由は「コンピュータに比べて融通が効くし、柔軟にモノゴトに対処できるから」と答えるでしょう。融通が効くとか、柔軟に対処できるのはなぜかといえば、状況に対して、臨機応変に、動的に対応する力があるからです。
 状況には、人生のなかでただ一度だけ遭遇する、つまり、初遭遇である場合が多々あります。また、ひとは、その状況で生じているすべてのモノゴトを(神様のような視点で、つまり客観的な立ち位置から)見る/感知することはできません。ひとが得ることができるのは、自分の立ち位置から見た一人称視点での世界です。神様視点が全体視野であるのに対し、一人称視点は局所視野です。サッカーの例でいうならば、スタンドで見ているコーチの視点は、全体視野で客観的な観察です。一方、各プレーヤーは本質的に一人称視点(局所視野のなか)で、刻々自分のプレーを選択します。パスを出す本田選手は、自分の立ち位置からみた一人称視点での世界の見え方のなかで、パスを出す方向やタイミングを決めます。パスを受ける岡崎選手も、一人称視点で、あるタイミングで、あるスペースに走り込みます。
 同じパスのシーンでも、両選手が見ている視野は異なります。当然スタンドのコーチの視点とも大きく異なります。現場で/フィールドでプレーしている選手の知を探究するのであれば、選手の一人称視点で世界を記述し、そこで生じている知の仮説を立てることは重要です。コーチの視点で論じる場合は、例えば、ホワイトボード上で選手を磁石で表し、その動き方やフォーメーションを議論することになります。これも重要には違いありませんが、その論考だけでは、知の重要な姿(選手が現場で何を見ていて、どんな知を発露しているかという側面)が欠落します。
 臨機応変、柔軟、動的な対応とは、現場状況の渦中で、まさに状況が生じて初めて発露される知を評する文言でしょう。その側面は一人称視点で論じる以外に方法はないというのが、一人称研究を推す所以です。一人称視点であるがゆえに主観が入り込み、ひとりのひとが遭遇した個々の状況に基づいて論じるために、最初は個人固有かつ状況依存な記述に基づいた仮説を立てることになります。しかし、そうやってこそ、コンピュータにはない臨機応変さ、柔軟さとはなにかについての仮説が得られるのです。逆にいえば、これまでそういう研究方法論をとらなかったから、ひとは臨機応変で柔軟であると誰もが口にするものの、その正体が知能研究の知見として解明されていないのです。



参考文献
[1] 諏訪正樹, 堀浩一, 中島秀之, 松尾豊, 松原仁, 大武美保子, 藤井晴行, 阿部明典. (2013). 一人称研究にまつわるQ&A,人工知能学会誌, Vol.28, No.5, pp.745-753.
[2] 諏訪正樹, 堀浩一編著, 伊藤毅志, 松原仁, 阿部明典, 大武美保子, 松尾豊, 藤井晴行, 中島秀之著. (2015). 一人称研究のすすめ—知能研究の新しい潮流, 近代科学社.



(諏訪研新聞 平成27年4月30日付)