第20回 『一人称、二人称、三人称研究』

「生きる」特集

 日本認知科学会のジャーナル『認知科学』で、「「生きる」リアリティと向き合う認知科学へ」という特集を編集し(青山征彦氏、伝康晴氏と協働)、2020年の6月号に特集論文が掲載された[1]。客観性や普遍性を基本とする従来型の論文では、ひとが「生きる」リアリティを十全に扱えないのではないか。ひとは、人生で出逢ってきたものごとに意味を見出し、独自の想いを抱いた上で、日々生きている。「意味」や「想い」は主観である。認知を扱う学問が「主観は排除すべき」という論文観/研究観で遂行されたままでよいわけがない。
 普遍性とは、誰にでも、何時でも、どこででも成立するという性質であるが、ひとの生き様を彩るのはそればかりではない。「独自の」や「人生背景に基づいた」という個人固有性が、生き様を他でもないそのひとのものたらしめている。
 認知科学の「状況に埋め込まれた認知」という思想は、ひとは環境と一体となり認知を形成すると説く。環境の状況は揺れうごくので計画通りに生きることはできない。想定外のものごとに瀕しても、何かしらのものごとを読み取り、臨機応変に意味を見出して、その場を乗り切る。認知は状況依存性を有する。生きるリアリティとは、状況依存性/一回性を大いに孕むと考えるならば、従来の論文観/研究観では生きるリアリティを捉えきれない。
 本特集はこういう思想に裏打ちされたものであり、2014年の「フィールドに出た認知」特集(伝康晴氏、藤井晴行氏と協働)の続編である。型破りに映るやもしれないだけに、学会でどう受け取られるのか、蓋をあけてみるまでわからなかった。我々エディターの不安をよそになんと40件以上の投稿が集まり、その関心の高さに胸を撫で下ろしたのだった。


一人称研究、二人称研究

 特集論文のすべてが一人称研究もしくは二人称研究である。「一人称研究」は2015年に8名の人工知能研究者/認知科学者で共同執筆した書[2]や共著[3]で、初めて世に問うた研究スタイルである。自身の学び・生き様と世の関わりを一人称視点で観察・記述したデータに基づき、知のありかた/ありようについての新しい仮説を見出そうとするタイプの研究である。一人称視点の記述データは主観なので、主観を排除してきた研究観からすれば、「果たして研究と言えるのか?!」と訝しく映るのも当然であろう。数多の批判を頂いてきたが、最近は次第に市民権を得てきたようだ。
 一人称研究と関連が深いのが二人称研究である。教育心理学分野で著名な佐伯胖氏が、最近、保育や発達心理学の分野で数々の書をまとめている(例えば[4])。幼児、要介護高齢者、植物状態の患者が観察対象の場合、そのひとの認知は、観察可能なものごとをもとに研究者が推察・解釈せざるをえない。二人称的に関わり共感を得ながら推察や解釈を行うことになる。佐伯氏はそれを「二人称的アプローチ」と称し、保育、看護/介護、発達心理学に必須の手法であると説く。


「研究」と「視点」の区別が肝要

 ならば、三人称研究という用語もあり得そうだ。ひとの認知により迫る研究を目指してきた長年の経験から、最近ようやく、それぞれの研究の定義や区別を明確に語れるようになってきた。本稿にもすでに、「研究」、「視点」、「アプローチ」という文言が登場している。結論から言うならば、「研究」と「視点」を混同して誤用しないことが肝要である(「アプローチ」は「研究」と同じ意味)。混同してしまうと、その途端、一人称、二人称、三人称研究の定義は曖昧・あやふやになる。


「視点」

 まずは「視点」。一人称視点とは、自身の観点や立ち位置から、自身・他者・世のものごとを観察するという眼を意味する。自身の哲学・想いを背景として主観を大いに含む。
 一方、三人称視点とは、いわゆる客観的視点と同じである。他者・世のものごとに対して、誰もがみても明白な事実を拾い上げる眼(したがって主観は排除される)である。
 では、二人称視点とはなにか。観察対象は他者であるが、三人称視点で観察するわけではない。二人称視点が成り立つには、観察者が特別な関係を有する他者であることが必要条件である。他でもない「あなた」的存在であるからこそ、対象者の立場に立って、そのひとの感じかたを共感的に感じ取る。そういう眼が二人称視点である。二人称視点で得た感じ方は、必ずしも対象者本人の一人称視点とは一致しないこと、そして二人称視点は観察者(研究者)の主観であることは押さえておくべきであろう。


「研究」

 では「研究」に話を移そう。三人称研究は従来の研究観そのものである。観察対象は他者・世のものごとである。それを三人称視点で観察し、普遍的な知見を見出すタイプの研究である。一人称視点や二人称視点、その視点から得られるデータの使用は許容されない。
 二人称研究では、研究対象は研究者が特別の関係を有する他者である。二人称視点で観察し、共感的にそのひとの知のありようを見出すタイプの研究である。使用するデータは、二人称視点で得た記述だけに留まらない点が重要である。他者を観察するので、三人称視点で得られる「誰がみても明白な事実」も扱う。また、他者への共感を育む過程では、研究者自身の「自己」や世との関わり方も関係してくるため、研究者の一人称視点による記述も、合わせて扱う。
 一人称研究では、研究対象は研究者自身と世のものごと(他者を含む)の関わりである。それを一人称視点で内側から観察記述する。内側からの観察なので、記述行為自体が関係性を変容させることになり、その変容の様態から知のありかたを探究するタイプの研究といえる。使用するデータは二人称研究と同じである。誰がみても明白な事実、特別な関係の他者がいる場合は二人称視点で得た記述、そして一人称視点での記述を併用する。


まとめ

 まとめるとこうなる。三人称研究が用いる視点は三人称視点のみである。一方、一人称研究や二人称研究は、一人称視点、二人称視点、三人称視点のすべてを駆使する。視点が一人称や二人称に留まることはなく、誰が見ても明白な事実も扱う。たとえば、音楽鑑賞の研究は、典型的に、楽譜に基づいた上で解釈行為を行う。楽譜データは誰がみても明白な事実としての音情報であり、三人称視点で得たデータである。一人称研究と二人称研究は研究対象が異なるのみでそれ以外はほぼ同じである。
 この特集の掲載論文の多くは、一人称、二人称、三人称視点を組み合わせて駆使し、人が生きるリアリティに迫ろうとしたものである。従来型の研究観、論文観を脱して、より広い視点から認知研究が遂行される礎として意義がある。



参考文献・URL

[1] 諏訪正樹, 青山征彦, 伝康晴(2020)特集「「生きる」リアリティと向き合う認知科学へ」編集にあたって, 認知科学, 27(2), pp.89-94

[2] 諏訪正樹, 堀浩一(編著), 伊藤毅志, 松原仁, 阿部明典, 大武美保子, 松尾豊, 藤井晴行, 中島秀之. (2015) 一人称研究のすすめ —知能研究の新しい潮流—, 近代科学社

[3] 諏訪正樹, 藤井晴行 (2015) 知のデザイン 自分ごととして考えよう, 近代科学社

[4] 佐伯胖(編著)(2017)「子どもがケアする世界」をケアする, ミネルヴァ書房



(諏訪研新聞 令和2年12月18日付)