コーチング

 コーチングという言葉を聞くと、多くの人は、スポーツの現場で選手に技を教えるコーチを思い浮かべるのではないだろうか。我々は、コーチングとは単に教えることではなく、学び手を取り巻く環境を「デザイン」して学びを促すことであると考えている。

 ここでいう学びとは、何らかの知を身につけようとする学び手の主体的な営みのことを指す(佐伯, 1995)。その対象は、学校の授業で取り扱うよういわゆる学問的な事柄に限らず、例えば、スポーツも自らの身体の動かし方・感じ方に関する知を身につける学びの1つであるといえよう。コーチングは、この広義の意味での学びを促すための方法論であり、スポーツはその代表的なドメインの1つである。

 コーチングについて、スポーツの現場では「名選手必ずしも名コーチならず」ということが知られている。名選手とよばれる人は、自らの身体の動かし方・感じ方に関する多くの着眼点を身につけ、優れたパフォーマンスを発揮することができる。しかし、名選手がコーチとして自らが獲得した着眼点をそのまま教えようとしても選手を成長させることはできない。なぜならば、選手は皆異なる身体や環境を持ち(固有性)、身体や環境の様相は時々刻々と変化するからである(状況性)。コーチの持つ着眼点があらゆる選手にとっての普遍的な正解となるわけではない。コーチは安易に「解を教えよう」などと考えてはならないのである。選手は自らに即した自身で解を探究し続けなければならない。そこで、我々は学び手が着眼点を探究するための方法論として「からだメタ認知」を提案してきた(諏訪, 2010)。

 しかし、全てを学び手による自得に任せればよいというわけではない。学び手による着眼点の探究は決して容易ではないからだ。身体と環境との関係性は複雑であり、また、認知容量が存在するため全てを意識することはできない。さらに、過去の経験が認知バイアスとなって着眼点の発見の妨げることもある。ただ「自分で考えろ」というだけでは学びとはなり得ないのである。

 このようにコーチングとは実に困難な問題である。学び手に答えを直接的に教えるのでもなく、かといって「自分で考えろ」と放り出すのでもない。学び手が主体的に着眼点を見出すことを促す「いいさじ加減」の関わり方を模索しなければならないのである。

 学び手との「いいさじ加減」を模索する上で参考となるのが、伝統的な武道や芸事の世界での師弟関係や職人の徒弟制度である。伝統的な武道や芸事の世界では、稽古の際に師匠は弟子の形の善し悪しのみを評価として伝え、何がどう悪いのかを説明することはない。弟子は繰り同じ形を反復するなかで、師匠が何を評価しているのかその着眼点を探究するのである(例えば、今野敏の小説「義珍の拳」では、江戸時代末期の琉球空手におけるこのような稽古の様子が描かれている(今野, 2005))。職人の徒弟制度でも、親方は仕事の詳細な説明は行わず、作業や日常的な営為を共にすることで弟子の学びを方向づけている(生田, 2007)。これらの例をコーチングの範として捉えるならば、コーチの役割を果たす師匠や親方は、「語らず」・「繰り返させる」ことで学び手に手本の中から着眼点を見出す機会を与えている。

 アスレティックトレーナーの石原は、コーチ自身が着眼点の探究を行う実践者であり続けることで、学び手に「着眼点の探究」のあり方を示すとともに、学び手の固有性・状況性に即すことができると述べている(石原, 2011)。さらに、諏訪は,着眼点には、身体を動かす際に意識を振り向ける入力と、結果としての身体の動きを指す出力の2種類があるという考え方を提唱し,選手もコーチもこの2つを意識的に区別することの重要性を指摘している(諏訪, 2009)。この入力・出力の分類に基づき、熱田(2012)や石山(2012)は、学び手が発する言葉を「目標」「出力」「入力」に分類し、学び手の意識レベルの点数化手法を提案した。また、学び手による着眼点の探究を促す方法はコーチの学び手に対する直接的な働きかけだけに留まらない。西山(2010)はアスリートによる着眼点の発見を促すべく、出力である身体運動を姿勢の類似度という観点から分節化し、フォーム(姿勢)の変化を色で表すカラーバーという方法論及びそれを用いたMotionPrismというツールを提案・開発した。

 コーチとして学び手と関わることは、学び手の環境の一部となることを意味する。学びは固有性・状況性によって如何様にでも変容する。コーチングとは、変容する学びに即して着眼点の発見を促すべく、コーチ自身を含む環境のあり方を問い・新たな環境を表すこと、すなわち環境をデザインすることである。

 

参考文献

    熱田惇. (2012). アスリートのセルフコーチングを支援する-意識レベルの算出手法の提案-. 慶應義塾大学環境情報学部2011年度卒業制作.
    生田久美子. (2007).「わざ」から知る. 東京大学出版会
    石原創, 諏訪正樹. (2011). 身体的メタ認知を通じた身体技の「指導」手法の開拓. 身体知研究会(人工知能学会第2種研究会)SKL09-03, pp.19-26.
    石山悠太. (2012). コーチの知を顕す. 慶應義塾大学環境情報学部2011年度卒業制作.
    今野敏. (2005). 義珍の拳. 集英社.
    Nishiyama,T., Suwa,M. (2010) Visualization Tool for Encouraging Meta-cognitive Exploration of Sport Skill. International Journal of Computer Science in Sport, Vol.9,Edition.3.
    佐伯胖. (1995). 「学ぶ」ということの意味. 岩波書店.
    諏訪正樹, 西山武繁. (2009). アスリートが「身体を考える」ことの意味. 身体知研究会(人工知能学会第2種研究会)SKL03-04, pp.19-24.
    諏訪正樹, 赤石智哉. (2010). 身体スキル探究とデザインの術. 認知科学, Vol.17, No.3, pp.417-429.