インタラクションは、動作により環境に働きかけること(図の行為)、環境中の変数を知覚・認識すること(図の知覚)から成る。ほとんどのインタラクションは意識下で生じる。からだメタ認知*とは、ひとことで言えば、身体と環境の間で生起する事柄をことば化によって意識上に持ち上げる努力をすることによって、身体と環境のインタラクションそのものを進化させる行為である。
ことば化の対象は、
- ・身体運動(どのような行為で環境に働きかけているか)とその影響(環境がどのように変容しているか)
- ・環境からの知覚(身体が環境中にどのような変数を知覚、認識しているか)
- ・自己受容感覚(いわゆる“体感”である。身体運動の結果として体内にどのような感覚が生起しているか)
である。敢えて意識的にことばにしようとしなければ、これらは時間とともに意識から消失する。
すべてをことば化することは不可能であるが、ほんの少しでも語って外化することによって、更なることばが生まれる(“ことばがことばを生む現象”)。
人はことばを使って考える生き物であるから、連想や推論により、ことばにする前には気づかなかった新たなことばの視点を得るのである。
すると、新たなことばの観点でからだを見直すことが可能になる。
すると身体が為す行為や体感も進化する。更にことば化できる事柄も進化する。
自分に対することば化は内部観測的な行為である。内部観測行為は本人の意識や身体を進化させる原動力として働く。
そのために、からだメタ認知*の行為は身体と意識の共創を促す。
メタ認知という概念自体は心理学で古くから存在するが、身体(特に知覚や自己受容感覚など)はことば化の対象から除外されていた。意識上で思っていることを敢えてことばとして外に出して、自分で自分を客観的にモニタリングすることによって自己の行動を客観的に分析する(客観的に知って、自分の行動を制御する)というのが、過去のメタ認知の思想である。それに対して、からだメタ認知*の思想は、内部観測的行為により、身体と環境のインタラクションそのものを変革させ、身体と意識を共に進化させるための手段としてのことば化である。
制御 vs. 共創、目的 vs. 手段は大きく性格を異にする。
図:身体とことばの共創サイクル
*これまでの論文では「身体的メタ認知」と称してきたが、“身体”は物理的存在というニュアンスが強いため、2012年度より、身体的メタ認知を改め、“からだメタ認知”と称することにしている。
参考文献
- 諏訪正樹,“身体知獲得のツールとしてのメタ認知的言語化”,人工知能学会誌, Vol.20, No.5, pp.525-532, 2005.
- 諏訪正樹,赤石智哉,“身体スキル探究というデザインの術”,認知科学, Vol.17, No.3, pp.417-429, 2010.
- 諏訪正樹.(2012).“からだで学ぶ”ことの意味 ―学び・教育における身体性―」.SFC Journal,“学びのための環境デザイン”特集号, Vol.12, No.2, pp.9-18.